「砂の器」は、松本清張の小説であり、それを原作とする映画とドラマである。私がここでふれるのは1974年の映画版と2004年のドラマ版である。というのも、原作と映画・ドラマの両映像版では、主人公たる和賀英良が、自らの生い立ちを乗り越えるべく、管弦楽曲「宿命」を作曲中であって、その初演が終わるまでが描かれており、まさに「一大交響詩」の趣きを呈しているが、原作にはそれがないからである。この、「宿命」の作曲と演奏がなければ、この作品は単なるサスペンスの域を出なかったであろう。その意味では、原作を、映像化が昇華した見事な一例といえるかもしれない。
 物語は警察官の三木謙一が東京蒲田操車場構内で殺害されたところから始まる。捜査本部が設置されるが捜査は難航する。東北、島根など全国を回る今西刑事が見出したのは、新進気鋭の若きピアニスト兼指揮者そして、作曲家和賀英良の姿だった。そして和賀は、自らの生い立ちと、殺人を犯すにいたったその「宿命」を乗り越えるべく自らの作曲の想念をその曲にすべてささげ自身のピアノ・指揮で(ドラマ版では作曲とピアノで)管弦楽曲(ドラマ版では、作曲中は「新しい交響曲」と呼ばれており、初演が迫るにつれ「ピアノ協奏曲」に曲の形式が変わっていった。やはり自らの十八番であるピアノを楽器編成上欠かすことはできなかったのであろう)「宿命」を初演しようとしていた・・・  「宿命」の旋律とオーケストラの和音に乗って、和賀の幼少期と、捜査会議で、和賀を殺人容疑者と断定するにいたった過去が和賀の回想と、今西の報告で語られてゆく。これにコンサートホールの演奏シーンが重なって、映画版では「主人公は今西刑事」などといわれるが、「宿命」演奏開始後映画が終わるまでの約40分の主役はドラマ版と同じく、完全に和賀英良である。父の病(映画版)の故各地で迫害を受ける本浦(和賀の本名)親子だが、映画版で感心したのは悪ガキどもにいじめられた和賀が孤軍で彼らに向かっていく直前に、演奏会場の和賀に、「宿命」のテンポと音量が上がる場面に合わせてこぶしを振り下ろさせてから、回想シーンの孤軍奮闘に持っていったシーンである。多勢に無勢で本浦少年は負けてしまうが、彼の誇り高さと勇気を劇的な音楽に載せて表現した傑出したシーンである。ほかにも、放浪シーン全般はドラマ版より映画版の印象が強い。鍋をつつきながら父親に無邪気に抱きつくシーンは感涙ものであった。昭和10年代でなければリアリティは薄まるだろう(ドラマ版の放浪シーンは昭和50年代、1970年代後半でなければリアリティは薄まったであろう。
 ドラマ版は舞台を現代に移しつつも、過去の背負った消しようのない「宿命」のゆえに罪を犯し、その罪を犯すにいたった宿命を音楽で乗り越えようとして果たせなかった(彼自身にとっては。聴衆にしてみれば歴史に残る傑作と出会えた可能性もある。この事件の後、「宿命」がどれほど共感と感動を呼び、オーケストラが演奏活動している国で演奏されるか、想像するのも一興である。)物語である。楽曲「宿命」を映画版とドラマ版で比較してみた場合、日本的情緒あふれる旋律は映画版のほうにあふれているが、ひとつのオーケストラ作品としてみた場合、それは野暮ったさにもつながり、ドラマ版の、千住明の洗練されつつ感傷と形式的厳格さを失わない部分において私はドラマ版に軍配を上げる。どちらも壮大なフィナーレ(後期ロマン派の典型的な終幕の音。「ダーン、ダーン、ダーーン」で終わる感じ。ベートーヴェンの第5交響曲【いわゆる「運命」。この曲を「運命」というのは日本だけ。ちなみに朝鮮語で「運命」は「ウンミョン」と発音】、ブラームスの第1交響曲、第4交響曲、チャイコフスキーの第4交響曲、ドヴォルザークの第5交響曲などいろんな交響曲・管弦楽曲【「オーケストラ曲の事ね】で聞くことができる終幕に酷似している)を有し、実験音楽的要素はほとんどない。
  • 登場人物紹介(1974年映画版)
  • 登場人物紹介(2004年ドラマ版)(工事中)
  • 砂の器公式ホームページ
  • 「砂の器」名台詞集(映画版)(7月21日新規台詞リンク先UP! 順次更新)
  • 「砂の器」名台詞集(ドラマ版)(工事中)
  • 映画版 菅野光亮作曲 「ピアノとオーケストラのための組曲『宿命』」(工事中)
  • ドラマ版 千住明作曲 ピアノ協奏曲「宿命」(順次更新)
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